Wednesday, April 30, 2008

パラノイド・パーク



ガス・ヴァン・サント監督「パラノイド・パーク」を見た。

冒頭、パークを滑走するスケート・ボーダーを、おそらくインラインスケートの類いをはいたカメラマンが追いながら撮影した、長いショットが特に印象に残った。滑らかな起伏によって作り出される陰影が、様々な表情を作り出しているそのパークを、被写体と交錯しながらカメラが駆け抜ける。そこにイーサン・ローズ(詳しくは知らない)のポストロック的な音楽が合わさり、スケーターのたむろするその空間は、ドリーミーな光に包まれ、しかしある不安定さをもって描画されていた。

そういえば前編を通してかなり音/音楽の多い作品であった。イーサン・ローズの作品はもとより、エレクトロ・アコースティック系の作品や、あるいは紙に鉛筆で文字を書く音や、名刺を持ち上げるときに紙と机がこすれる音など、すこし過剰なまでに録音されており、個人的にはもう少し控えめでも良いような気がした。当然のことながら過剰は無いのとほとんど変わりがない。

主人公の少年は、常に自分の居場所を確定することができない。流動的で、偶然によって支配され、自分が行うこと、あるいは既に行ったことに対してコミットできない。スケートボードによっても、セックスによっても。それが最終的に、エクリチュールの形で定着させることによって、あるいはその言葉たちが、他者へと開かれることによって、彼自身が解放されることができるのか。解釈は開かれたまま残る。

日記 2008/4/29



・買いだめしていた文芸誌から、かいつまんでいくつか読む。

・早稲田文学復刊1号掲載の川上未映子「戦争花嫁」
例の芥川賞受賞作は読んでいないが、本作は相変わらず詩的で、いったい何のことだかわからない「戦争花嫁」について書かれている。その不思議な言葉そのものにつて、言葉のもつ強度や速度が語り、炸裂する散文。世界、そしてその存在を受け止める目、語られる言葉。その言葉を発語すること。その耐え難さ、厳しさを戦争花嫁は引き受け、烈火によって昇華させる。言葉を捕まえ、その言葉となる。川上の鮮やかな手つきが刻まれた佳作。

ところで、早稲田文学の雑誌デザインは面白く、「アラザル」のデザインの参考にさせてもらった。最終的には直接的な影響は出ていないけれども。

・新潮2008/5掲載の東浩紀「ファントム、クォンタム -序章-」
量子コンピュータなどを題材にしたSF作品の序章。先日のエクス・ポ ナイトでも話題に上がっていたが、「ゲーム的リアリズムの誕生」の実践として書かれた可能世界論的な作品。批判的な意見も聞いていたが、僕としてはとても面白く読んだ。まさに可能世界を行き来するSF作品であり、今後の展開が楽しみだ。ちなみに途中で文芸評論家「浅谷公人」というのが登場して笑った(もちろん浅田彰+柄谷行人だろう)。僕が気づいていないだけでこういうフェイクは多分他にもあるんだろうな。

Tuesday, April 29, 2008

改めて

ブログを再開してからの記事を読み返してみたが、どうにも面白くない。というか、僕が他のブログを読んで、つまらないと思うような内容になっている気がする。ちょっと自己分析できないのだが、どうしたものだろう。文体をやっぱりですます調にするか。そうしましょうか。

といって、ここでまたポストするのをやめてしまっては元の木阿弥。もう少しは続けていきたいものです。

とりあえず自分でわかっている嫌いなブログの特徴は、「こんな俺ってどう?」的なナルシシズムです。そのナルシシズムをストレートに出す人もいれば、俺もまだまだだな、という感じで「でもそんな俺って・・・」みたいな人もいる。そうはならないように気をつけたいですが、こればっかりは気をつければ出ないようなたぐいのものではないのですね。

「批評家養成ギブス」で佐々木敦氏もよく言ってたけど、自己を相対化できないやつはダメなのね。自己卑下するのではなく、クールに、ある程度の広がりを持って自分を評価したいものです。

というか、自分のことはそうだけど、それ以上に周りを見渡す力の方が必要ですよね。「ですよね」っていわれても、「俺は知らねーよ」って僕は思いますから、こういう書き方も嫌いのですよね。とにかく、うーん、次回からはもう少し文章を練るようにするか。いや、それも面倒なので、勢いはある状態で書いた方がいいか。

既にですます調も気持ち悪い気がしてきた。どうしよう。すでに口語調にもなってますしね。もっと自然な感じにできないものか。

I'm not there




・会社に行くも、同じチームで出社しているのは僕の他に一人だけだった。

・仕事が終わると、新宿で山下君に会い、頼んであった物品を受け取る。その後、トッド・ヘインズのI'm not thereを見に行くというので、ちゃっかりついていく。

I'm not thereは6人の主要な登場人物がそれぞれBob Dylan(を表象する人物)を演じるという、一風変わった演出の映画で、非常に面白かった。

まず、前半に黒人少年が登場するのだが、彼と旅の途中で出会った壮年の黒人男性二人とのセッション風景での歌が、ずいぶんと感動的であった。三人でギターを弾きながら歌を歌うシーンであり、スピーカーから流れて来る演奏は明らかに映像で移されているメンバーが演奏しているものでないことがわかってしまうのが(画面にはないベースの音もはいっている)若干気にはなるが、(たしかここで演奏された曲は僕が知らない曲だったと思うが、Bob Dylanの曲ではあったと思う)ブルーズ的な音楽の持つ黒人性と、カントリー/ブルーグラス的な疾走感がたまらなく良い。

その他、映画中で演奏されるのはほぼBob Dylanの曲であり、Bob Dylan自身の演奏もあれば、劇中歌として登場人物が演奏するものもあった。しかし全てきわめてクオリティの高いものであった。音楽を聴くためだけでも、この映画を見る価値はあろう。

映像についても相当の強度が備わっていた。専門的なことはわからないが、白黒や、古い機材を利用した感じのフィルムの諧調や分解能が悪くつぶれた感じの映像の、黒から伝わって来る深い闇の気配、あるいは各ショットが作る構図の美しさなどは、優れた映画の持つ特徴なのだろう。

事前に知ってもいたが、主人公の中で、ロックスターを演じるケイト・ブランシェットの成りきりぶりは凄い。ロックスターの才能と苦悩とを見事に演じていた。

また、映画の終わり方などにはニーチェ的な永劫回帰を感じたが、どうか。

・つまるところBob Dylanは偉大である。ということが痛感させられる映画。

・そもそも数を見ていないということもあるが、映画について何か書くというのはとても難しいね。情報量がありすぎるから、まあ書こうと思えば字数はかけるかもしれないが、なかなかまともなことを書けそうな気が今のところはしない。もう少しくらいは体系的に見たりするべきかもしれない。

Monday, April 28, 2008

アラザル校正

・印刷所からアラザルの印刷見本(白焼きっていうのかな)があがってきたので、昼過ぎからメンバーで校正作業。修正が必要なタイプミスなどもいくつかあったが、それ以上に写真などの品質が悪く、修整を依頼することに。大丈夫だろうか。

・続いて会計について会議。お金のことを他のメンバーがどう考えているかわからないので、どのように運用すべきか悩む。

・その後、とりあえずの制作打ち上げ。皆さんお疲れ様でした。講座も、その後の制作の過程も、非常に有意義なものとなりました。本を作るのって面白いね。これからもまた作る機会を作っていきたいと考えています。

・ですます調になってきましたが、いつもブログに書くときの文体をどうすべきなのかわからなくなります。

Sunday, April 27, 2008

ポナイト

エクス・ポ ナイト」に行ってきた。途中からの参加で、すべては見れなかったが、円城塔を中心にした座談会や、冨永昌敬と松江哲明の対談など、刺激的な話が聴けた。

しかし、ライブを見たFilFlaというバンドは、今回初めて聴いたのだが、あまり楽しむことができなかった。僕は別に彼らの演奏が悪かったとは思っていないし、例えば偶然テレビで見たとしたら、あるいは良かったと思ったかもしれない。その前提で、いくつか批判的なことを書いてみることにする。

僕には彼らの演奏が2000年頃のポストロックとか、あるいはスーパーカーみたいなバンドとの違いがよくわからなかった。そしてギタリストが操作していたラップトップから再生されるトラックは、どうにもギタリストが操作する必要性が感じられなかった。

というか、そもそも既に制作されているトラックと一緒にライブを行う場合、それが本当にライブである意味があるのかということに、ある程度以上は注意を払わなければ行けないと思うが、それが今回の演奏からは感じることができなかった。コンピュータと人が同時に演奏することによる、例えばリズムのズレや、菊地成孔的な意味での訛りなどが前景化されるような音楽ではなかったし、明らかなミステイクもあった。そして、曲間でラップトップを操作する間が、どうにもしまらない。明らかにただ再生しているだけであったので、それならミキサーをいじっている音響の人にオペレーションを任せるべきだった。

あと彼らの演奏に限ったことではないだろうが、バンド形態での演奏において、現在あまりにも4拍子というか、アフタービートの演奏が多過ぎではないか。実際現在が他の時代と比べて4拍子が多いかどうかはわからないが、変拍子を奨励するという意味では全くなく、単純にドラムが2拍4拍にスネアを鳴らす音楽ばかりで、ちょっとつまらない。途中すこし抜けていたので確実ではないが、彼らの演奏した曲の中ではおそらくすべてがそのようなリズム構造だったのではないか。そしてドラムの音色についても、どこで聴いても「良いドラムの音」の感覚が同じで、あのソリッドで中身の詰まったバスドラ、シャープなスネアとハイハット、といったほとんど記号化された音色はあまり刺激とは言えない。

最後に、これはラップトップを利用していたことが相当程度影響していると思うが、彼らの演奏は全て1曲ごとに終了してから次の曲に移っていた。まずこの構成自体にも異論はあるが、しかし今問題にしたいのは、その一度曲が終了したときに訪れる無音状態の、異常なまでの生々しさだ。それまでコンピュータの音色も含め、人工的な音響が周りを包んでいたにもかかわらず、最後まで引き延ばされていたギターの音色がボリュームを0にフェードアウトしたとき、そこに訪れる音楽の不在、その明らかに先ほどまでの音楽とは関係ないように思われる会場の雰囲気とかすかなP.A.の駆動音。その対比はどう考えても面白いものではなかったし、だからこそある程度続けて演奏したりMCを入れるなりするべきだったと思う。しかしあの強烈に襲いかかって来る音楽の不在の瞬間というのは、僕が何らかこれから音楽について考える上でのヒントになりそうな気はした。

Saturday, April 26, 2008

日記 2008/4/26

・長野の聖火リレーのニュースで、「オリンピックが政治的に扱われるのは残念」といったコメントが散見されたが、何をおっしゃいますやら。スポーツ、それも国際大会が政治的でないということはほとんど想定もできないのではないか。なにせ彼らは国旗を背負って、相手国を倒すのである。戦争が政治的でない、というのならまた話は別だろうが。スポーツについて、「国の威信をかけて」というフレーズなどは何の躊躇もなく使われている。

・というわけで、政治が苦手な僕は、オリンピックが好きではない。サッカーのワールドカップも同様。まあ、これは単純に僕が天の邪鬼であるということが大きいと思うが。

日記 2008/4/25

・会社の部署の新人歓迎会があった。配属は総勢8名。多い。しかも女性が4人いる。IT系で半分が女性って言うのは多いよな。とはいえ、うちの会社の女性率は他者と比べたらかなり少ないのではないか。

・歓迎会はTAPAという居酒屋で開催されたが、コース料理のほとんどが炭水化物で驚愕した。
サラダ→ライスボール→ビビンバ→パスタ→ピザ→うどん→パスタ2→ピザ2→フォー(順はうろ覚え)
食べ放題のメニューだったが、それ以上は注文させまいと言うメッセージだろう。

Friday, April 25, 2008

DIRECT CONTACT VOL.1

大谷能生&木村覚 プロデュース連続企画『DIRECT CONTACT VOL.1』の二日目に行った。神村恵によるダンス・パフォーマンスと、大蔵雅彦、杉本拓、宇波拓各人の作曲作品の演奏が行われたのだが、ダンスの文脈をまったく知らない僕には神村恵のダンスの面白みはわからなかった。スタイルがよいでも無し、テクニックがどうと言うわけでも無し、入場/退場を含めたパフォーマンス全体として、素人感が感じられてしまう。

作曲作品についてはそれぞれに面白かったが、特に3人の話者がそれぞれ、あるいは同時に台詞を話し出すという、ほとんど音楽と言えない杉本拓の作品はしかし、発話が重なったときのあまりの和声感に驚いた。というか杉本がこの和声感を求めてこのような作品を構想したかは極めて怪しい気もするが、そのいわば発話による対位法が重層化させる音響は、演奏会という場で響くと相当に音楽的であった。

杉本に比べると大蔵の作品は極めて従来の音楽に近く(といってもそれは西洋楽器を用いている、という単純な事実によるものに過ぎないが)、宇波の作品はより演劇的であった。ただどの作品も時間の、あるいは時間経過とイベント発生の構造化について、極めて意識的なコンポジションであったことはいえるだろう。

・ちなみに杉本の作品の演奏者=話者の一人は秋山徹次氏であった。秋山の演奏は個人的に久しぶりに見たのだが、しかし演奏というか。終演後、秋山本人が歌っているというCDを購入し、サインをもらう。

・会場でBRAINZの知人に会い、(僕は参加していない)木村BRAINZの生徒の方と知り合う。その中にCINRAの編集をしている方もいたが、アラザルの宣伝をしてもらえないだろうか?

Wednesday, April 23, 2008

日記 2008/04/23

・今までいわゆる日記的なポストをすることは避けようと思っていたが、そんなことをいっていると結局何も投稿しないし、何がしかの投稿を続けることには相当の意味があるだろうことは他の人のブログを眺めていても感じるので、できることなら日々駄文でも何でも書いていきたいと今は思う。しかし続く予感はなし。

・最近は前のポストで書いた批評誌「アラザル」の編集、デザインと一部原稿の直しをしていた。個人的にはスケジュール管理やらデザインの統一に関する意識合わせやらが不足していて、入稿前の作業負荷が異常に高くなってしまったことが残念。できれば次回の機会を作って、そこで反省を生かしたいところ。

・先日BSでジョン・レノンのライブ映像が放映されていた。カナダの69年のフェスで、他にもチャック・ベリーやボ・ディドリーが出演していたが、中でもボ・ディドリーは不勉強ながら初めて聞いて、そのリズムに感動した。あとこの頃の映像はフィルムで撮影されていて、その画面の質感やら何やらがまたすばらしかった。

・ジョン・レノンはこのフェスのための特別バンドでの参加だった。エリック・クラプトンの演奏にギターヒーローの片鱗を見る。コールド・ターキーの演奏が個人的には非常によかったが、しかしオノ・ヨーコの歌唱は、これまた不勉強で知らなかったがこんなにシャーマニックだったのか。中でもオノ・ヨーコが歌う「Don't worry, kyoko」は鬼気迫る。母親にこんな風に「キョーコ、キョーコォーーーーーー!!」などと叫ばれたら、否が応でも心配もしてしまう気がするが、どうか。

批評雑誌「アラザル」/文学フリマ

アラザル



この場では報告していませんでしたが、というか全然ポストしていませんでしたが、去年9月ごろから約半年、佐々木敦が主催する私塾「BRAINZ」で、塾長佐々木敦による批評家養成ギブスというものに参加していました。
音楽、映画、文芸その他、さまざまなジャンルを貫通する批評行為のあり方について、示唆に富む話が聞けて大変面白かったわけですが、その「批評家養成ギブス」卒業生一同でもって批評雑誌「アラザル」を自主制作する運びとなりました。すでに昨日入稿済みで、5/11に秋葉原の東京都中小企業振興公社で行われる文学フリマで販売します。
僕は「カウンター/ポイント」というタイトルで、音楽と写真について書いています。あと、特別企画としてかなり長い佐々木敦インタビューがあります。インタビュワーは僕です。他では話したことは無い、と本人が言う、他では読めない内容になってますので、ぜひ5/11は秋葉原に!!

批評雑誌「アラザル」はHEADZブースにて500円で販売予定。ページ数約190。