Friday, May 02, 2008

ループラインコンピューターミュージックフェスティバル

ループラインコンピューターミュージックフェスティバルに行ってきた。

loop-line computer music festival

Klaus Filip(lloopp)  石川高(笙) duo
noid(cello)  中村としまる(no-input mixing board) duo
杉本拓(metronomes) 宇波拓(lloopp, mortors) duo

再三宇波氏自身も言及していたが、コンピューターミュージックフィスティバルを銘打って、コンピューターは宇波拓とクラウス・フィリップの二人しかいない。noidと中村としまるのデュオでは全くコンピューター奏者無しという、なんだかなあな企画であった。

ただ、それぞれの演奏についてはさすがにすばらしい。以下、それぞれのデュオ演奏について。

杉本/宇波の両拓の演奏は、やはり時間をいかに区切り、再構成するのかが問題になっていたように思う。杉本拓のメトロノームっていうのは聴いたことが無く、いったい何をするかと思っていたが、電子メトロノームを複数持ち、テンポをずらして再生するなど、なんだかほとんどスティーヴ・ライヒのような演奏をしていた。宇波拓はコンピューターを使ってはいるものの、そのコンピューターはスピーカーには接続されておらず、オーディオのアウトプットがアンプを通して小型モーターに接続されており、そのモーターに取り付けられた六角レンチ(ってわかる?5センチくらいのL字型した工具のことです)が小刻みに振動し、そのレンチが机を叩いて乾いた音を立てるという、ほとんど気違いじみた演奏を行っていた。とはいえ、このようなおかしな演奏はONJOでも披露されているだけに、ONJOファン的にはむしろ驚きは少ないのかもしれない。カタカタカタカタ、ぴっぴっぴっぴっ。こう書くと楽しげではある。それを難しい顔をして演奏し、こちらも難しい顔をして聴いているのであるから、ちょっとブラックユーモア的であったかもしれない。

noidと中村としまるのデュオは、いわゆる音響的即興という文脈から見ると、一番的確にそれに当てはまるような演奏だった。ただ、一時のそれと比べると、中村の演奏などは相当に大きな音量も用いており、より演奏がダイナミックになっている。noidはこのライブで初めて演奏を聴いたが、チェロを様々な奏法(とは呼べないような奏法も含む)で操る、まさに音響的即興を行う音楽家だった。日本で言えば秋山徹次の演奏などに近いだろうか。といっても秋山氏の演奏には相当には幅があってどの演奏のことかわからないかもしれないが。中村氏の演奏はとても良かったと思う。ただnoidの演奏は、ちょっとギリギリ僕の理解の外にあったような気がする。悪い印象は全くない。しかし終演後にミュージシャンなどからnoidへ、「とても良かった」というような反応があったが、そこまで反応するほど、僕にはそのすばらしさが伝わらなかった。このわからなさっていったいなんなんだろう。特にこういうポピュラリティの無い音楽について、どの演奏が良くてどれは良くない、という線引きは本当に難しいと思う。

最後にクラウス・フィリップと石川高のデュオ。これはもう文句無くすばらしかった。そもそも僕は笙の音色および演奏が好きなので、そのバイアスが相当かかっている。しかしそれを差し引いてもすばらしい演奏だったのでは無いだろうか。上へ上へと昇っていくような、いや、上から降り注ぐようなといったほうが良いのか、笙の音色が形成する音響と、サインウェイヴを基調とするクラウスのコンピューターから発せられる、繊細にコントロールされた音量と音色の電子音響。それぞれが響きあい、相互浸透する中で、様々に変化するモアレと、それとは無関係に発展していくそれぞれのプレーヤーの演奏。いや、感嘆しました。
ところで、特に石川さんはクラウスの演奏に反応して演奏を展開しているように見えたが、終演後二人にそのことを訪ねると、全くそんなことはなく、お互いそれぞれで演奏してたとのこと。残念、聞き違い。
両氏の演奏を聴く機会はいままであまり持つことができていなかったが、これはできるだけ今後も生で見られるときは生で見たい。ただ、石川さんは日本にいらっしゃるはずなのでいいが、クラウスを生で見る機会は多くはないはずで、また来るときに見逃さないようにしたいもの。
そいういえばクラウスが以前(2006年なのかな)下北沢に来たときには見ており、そのときの中村としまるとのデュオもすばらしかった。
で、おそらくそのときに録音したと思われるCDと、Axel Dornerと中村としまるのデュオのCDを購入。これから聴きます。

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