Tuesday, March 15, 2005

ミラクルシャッフル

僕は音楽家の中ではずいぶん評判の悪いiPodを愛用している。まあ、iPodに賛否両論あるのはわかるが、僕の場合外に音楽を持ち出して聴く時点で、音質がどうとかということはあまり気にしていない。そもそも音楽とほとんど同レベルの騒音が混入した環境で、音質どうこう言っても仕方がない(悪いよりは良い方がいいと思っているが)。しかしさすがにシャッフル機能はあまりにも作品を解体してしまうので、今まで全く使ってこなかったのだが、最近前にも紹介した雑誌「ユリイカ」の中で、むしろこれほどの解体のされ方の中から、音楽に対する聴取のあり方に意識的になることも可能なのではないか、というような内容の記事(沢井妙治「手塚治虫が想像していたような、もっと21世紀らしい音」)を読んで、たまにこの機能を使ってみているようになった。(iPodについてはやはりユリイカの中で大友良英、菊地成孔、大谷能生の対談でも触れられている。また大友良英菊地成孔の日記でもこの話題が展開されている)

僕の場合、意識的に「解体された」音楽を聴いている意識はない。しかし蓄積された音楽の記憶(アーカイヴ)の中から、その作品の意味を完全に、いや不完全にはぎ取られて不意に飛び出すそれぞれの断片は、テレビから流れ出す殺人事件後の血痕とCMのチワワの様に、またはチャンネルを回したりハイパーリンクをたどったりしながら無数の国々を瞬時に飛び回る現代のメディア体験の様に、飛躍する意識の中で意味性を麻痺させながらも、音楽の所有欲を充足させていく感じが何とも現代的で面白い。でも意外に誰のどのアルバムか分からない場合もあって、普段の聴き方の甘さが露呈したりもする。まあ、この辺りで「ああ、こんな曲もあったな」等と感じて楽しんでしまうとまさにメーカーの思うつぼだろう。僕の場合はその「思うつぼ」にちょっとはまって楽しんで見ようかと思ったのだが(もちろん楽しめなくはないが)、やはり基本的にはアルバムを通勤時に聞き返す目的でこれからも使うことになるだろう。

それと面白いのは、ある曲が終了した時点で、次の曲の冒頭が「聞こえて」くることだ。こんなことは別にiPodが出る前から分かりきっていることだが、しかしこの予定調和を乱す中で、何か新しい表現が見えてくるかもしれない。

それでもランダムに曲が選択されていると、面白い「つなぎ」が聞けることもある。さすがに、屋外を歩いている時にロックの後にシェーンベルクの歌曲「月に憑かれたピエロ」が流れた時は厳しかったが(そもそもシェーンベルクをiPodで聞くタイミングもほとんどないが)、今日は結構マジカルな「つなぎ」が聞けたので、「たまにはいいかも」とか思ったりした。そのマジックは次のとおり。

Bill Evans & Jeremy Steig "So What" from "What's New"
池田亮司 "C5::cuts" from "0℃"
Pink Floyd "Nobody Home" from "The Wall"

ま、実はこの組み合わせが面白いから書き始めた記事だったんだけどね。全部のアルバム持ってる人は少ないかもしれませんけど。

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